冒頭の、スカーフをしたイスラム教の生徒と教師の激しいやりとりのシーンを見て、あまりのフランスらしさにため息が出た。このどちらも譲らないやりとりこそ、今の現代社会を象徴していて、私にはなんとも懐かしい。一瞬でフランスでの生活が蘇り、すんなりと映画のなかに入ってしまった。
レオン・ブルム高校とパリ近郊、クレテイユ
パリと一口にいっても、日本人あこがれの花の都という側面ばかりではない。中心地からちょっと離れれば観光客の姿はなくなり、それに比例して街を行き交う移民の割合が増えて行くし、なかには危ういジャングルのような地域もある。クレテイユは、まさに地下鉄8番線の東側の終点。オペラやバスチーユ広場を通る路線の終点なのでよく耳にする地名なのだけれど、移民が多く日本人には馴染みが薄いので、なにか特別に行く理由がなければ近寄らない郊外だ。また、学校名のレオン・ブルムは首相を3度務めたユダヤ人の政治家の名前である。そういえば私が住んだ11区のヴォルテールの区役所前の広場にも「レオン・ブルム広場」という名前がつけられていた。
人種コミュニティー
もはやパリは白人だけのものではなく、旧植民地の北アフリカのモロッコやチュニジア、アルジェリアからはアラブ人、マリやセネガルなどから黒人、中国人など、どんどん移住が進んでいる。フランスで生まれた2世、3世はフランス国籍を持つが、家庭環境や文化的、宗教的背景はみんな異なるから大変だ。移民の多い地域の学校では、多民族にフランス的な教育を与えることにとにかく頭を痛めている。フランス社会にうまく順応できないケースも多いので、作品にも描かれていたように落ちこぼれずにバカロレア(大学入学資格試験)に合格することが難しく、これがその後の移民の失業率の高さにもつながり、強いては社会不安に繋がる・・・という悪循環。そういうわけで、どうしても郊外は荒れている。当たり前のように言い訳や口答えばかりする生徒たちを前に、教師は絶えず「Ca suffit! (いい加減にしなさい)」と叫ばなくてはならない。サシュフィ!とは相手の言葉を遮って止めるための強い語調の言葉である。
学校とスカーフ
政教分離のため、フランスの公立の学校では宗教色を表に出してはいけないという法律がある。歴史上、文化的にキリスト教の影響が色濃かったフランスではあるが、今では無宗教がモットーとなっている。そんな中、信心深いイスラム教徒がスカーフを外して学校にいくのを拒み、それが論争を生み社会的問題になったという背景があり、いまでもたびたび火種となる。
名前をオリビエからブライムに変えるわけ
このシーンは何気なくでてくるが、これが結構、重要な鍵でもある。出席を取るときなど、生徒たちの名前が呼ばれる。「名は体をあらわす」というが、フランスでは名前で運命が変わってくるほどだ。テオやジュリー、クレア、オリヴィエと聞けば典型的な白人を思い浮かべるし、ジャミラと言ったらアラブ、クジジといったらアフリカ人。東洋人の生徒がいるが、「ユメ」というのでもしやと思って調べてみたらやはり日本人学校の出身であった。履歴書を送る時に、アラブ系の名前だと書類審査で不合格だったけれど西洋風の名前に書き換えたら合格ということがまかり通る、というのはよく聞く話。イスラム教に改宗したばかりのオリビエは、そこでブライムというアラブ系の名前に変えることで自分のアイデンティティーを示したいのだ。

この作品の背景にあるキーワードはほかにも幾つもある。これほど多民族で複雑な現代フランスの社会は一体どこに向かうのだろう、と他人事ながら心配になってくるほどだが、彼らにはフランス語という共通言語がある。学校という場で心ある教師のもと、彼らのもつ問題よりはるかに重い歴史を生きたユダヤ人の悲劇を学ぶうちに、反抗的だった個々の力が一つのある方向性を持ち始める。マイナスを束ねてプラスに転じさせたときのパワーは、多民族で構成された集団だからこそ、より大きい。これこそフランスの持つ潜在的な可能性なのではないだろうか。『奇跡の教室 受け継ぐ者たちへ』は、実話から生まれたからこそいっそう、力強く心を打つ作品である。